花見を堪能し候。
東日本橋の行きつけの寿司屋の常連の方の計らいで
桜の見ごろなこの最高の時期に一席設けられた次第である。
2階の座敷は30人もの人間がゆったり膳に向うことができるほどの
広間で、2階ということもあって、
窓一杯に花を咲かせた桜の枝木が、まるで襖絵のように広がっている。

この景色だけでも非常に貴重な一時であるが、
大勢の仕出し料理の割に旨い刺身やら小鉢と、
着物姿が板についた仲居さんの酒の酌と客あしらいで、
花も団子も甲乙付け難いまま、宴は一層盛り上がっていく。

朱塗りの膳に品良く盛られた鰻の蒲焼は、
小ぶりの江戸前風のものであったが、風味はほどほどで、
こればかりは本店で一度きちんとしたものを食べなければ
なんとも言いがたいところである。
とはいえ、一席に参加した江戸っ子の面子が一芸に秀でた面々で、
三味線など弾いて唄をさらりと流してみたりといった、
玄人が素人の真似ごとをするから、どうにも高級な時間が展開し始める。
満開の桜と三味線と玄人の唄と来れば、誰もが思い描く
粋で極上な夢心地の花見である。
「腹の立つときゃ、茶碗酒〜」と洒落た唄なぞ説かれてしまえば、
やんややんやと調子も出てきて、今度は蚯蚓を含めた素人の
面々が玄人の真似事を始めてしまう始末。
〆においても、趣深い本物の締め方で、しっかりしめる。
言葉の貧弱な蚯蚓では到底表現し得ない粋な正式の「締め」である。
食事という観点からいくと仕出し感は否めないが、
やはり花見はその一時を共にする面々であると
深く感じた極上の粋な時間である。
想い出を刻むべく今回は私事の比重の高い表現となるが、
記事を投稿させて頂いた。